キハ56+キハ22:急行「大雪」
石北本線といえば、当時日本で唯一のカタカナ特急「オホーツク」と長躯函館〜網走間を往復していた「おおとり」が花形であったわけですが、両列車とも1往復のみの設定で、庶民としてはやはり急行「大雪」がメジャーな優等列車であったと思います。
昭和55年の時刻表を見ると、1日5往復の「大雪」が設定されており、4往復が昼行のディーゼル、1往復が寝台車を連結した夜行急行でした。テツとしては昼間のディーゼル急行よりも夜行列車を多用した、と言いますか、夜行しか乗ったことがない方も多いのではないでしょうか。
急行「大雪」は、その多彩な運用面からも大変興味深い列車です。1往復は釧網本線経由で旭川〜釧路〜札幌を走破し、下りでは名寄本線の興部行き、さらに驚くことは、上りの名寄発〜名寄本線〜遠軽〜札幌なんてとんでもないコースを走破する列車もありました。
さすがに好んで乗るような列車ではありませんが、ちょうど9時間も掛かるこの列車は通しで乗る人なんてまず居なかったのではないでしょうか。

和56年3月 遠軽駅にて 急行「大雪4号」?
右側のキハ56とキハ27の2両編成を組んだ急行ですが、あまりにもショボイ編成ですので、『うさぴょんのマル鉄回顧録』でアップしたときは急行「天都」かもしれない、としていたのですが、昭和56年のじこくひょうをかくにんしたところ、には既に急行「天都」が廃止されていました。
そこで昭和56年の時刻表を確認しましたところ、
渚滑線の乗りつぶしから遠軽へ戻ってくるのが9:40。
特急「おおとり」と特急「オホーツク」が10:50を前後として交換が行われるのでこれを撮影。
駅へ戻ってから列車に乗ろうとすると、網走方面、旭川方面とも12時を過ぎるまで列車が無い。
網走発の558Dが遠軽12:11着。折り返し12:42の網走行き559D。
名寄発の1623Dが12:02着、そのまま12:38に旭川行き514D「大雪4号」となります。
そのときの私の行動と時刻表上の時間の相関がピタリと一致しました。
つまり、写真で言うところの左側が558D〜559D、右側が急行「大雪4号」。
さらに、昼行の急行「大雪」はほとんどがグリーン車連結であるのに対し、この旭川行き「大雪4号」のみグリーン車は連結されていません。
以上のことから、全ての状況が一致し、写真のローカルな急行列車が「大雪4号」であることが判明いたしました。
ヘッドマークの無い気動車急行と言うのは、私的には撮影対象外だった筈ですが、北海道と雪景色、極寒の風景は、普通の気動車ですら魅力的に感じさせてしまうんですね。
ですので、本州ではあまり撮影実績の無い一般型車両たちも、たくさん記録に残すことができたのだと思います。


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