国鉄 マヤ34:高速軌道試験車
マヤ34形高速軌道試験車は、昭和34年に1が東急車輛によって製造され、昭和40年以降に2002〜2010までの計10両が誕生しています。
1はその後のマヤ34とは形態が大きく違っており、試験車らしい特異なスタイルで晩年を北海道で過ごしています。
尾久客車区や向町運転所を中心に配属されていましたが、JR化を前に各社の拠点となる基地へ転配されています。
国鉄時代はこれと言って情報がない時代でしたから、まさしく神出鬼没な車両であったため、なかなかその姿を捉えることは難しかったですね。それでも何枚か記録に残すことが出来ましたので、ここにご紹介いたします。
※画像はすべて大きくなるようにしておきます。

昭和51年 蕨〜西川口間にて クモハ73+マヤ34+クモハ73
通常、マヤ34による軌道試験はEF58などEG(電気暖房発生装置)を搭載した機関車の牽引で行われますが、マヤ34は電車と連結するための引き通し設備を有しているので、電車区間(国鉄時代のいわゆる国電4つドア区間)ではこのようにクモハ73に前後を挟まれて実施されるケースも多く見られました。
写真は東北本線の上り線を走行しているので、京浜東北線でないところがミソな写真です。ピンボケが大変残念!

昭和53年頃 蕨〜西川口間にて 貨物回送のマヤ342003
マヤ34の姿は数多く見ていますが、このように貨物列車に連結されているシーンはこのときだけしか見たことが無いと思います。
カーテンが全部下りているところを見ると回送かと思われますが、情報の少ない時代、年齢ですので、その真偽は定かではありません。
しかし、一番良く撮れていたマヤ34の写真がこの写真だなんて、なんとも皮肉なモンです。

昭和56年2月頃 蕨〜西川口間にて EF58135牽引 大宮工場出場車(再掲)
大宮工場からの出場車を連ねた列車で、いわゆる配給列車です。
機関車次位から、マニ37+マヤ34+スロフ12+マヤ34・・・と2両のマヤを連結した圧巻な編成です。
この列車は放課後のちょうど良い時間に運転されるので、学校が終わると良く見に行ったモンですが、部活に入ってからはあまり写真を撮る機会に恵まれず、見ていた割りには写真が少なかったです。

昭和60年1月頃 与野駅にて EF58114+マニ60+マヤ34
一見回送列車のような写真ですが、何故かマニ60を控車として試験列車です。
夜勤明けでこの時間を狙って撮ったような気がします。何せ情報はいつでも手に入る仕事でしたから。
東北本線の試験では上りの八甲田や下りの125列車に良く連結されているのを見ましたが、この頃は既に客車列車も少なくなっていたため、このような併結ではない単独の試験列車が運転されたものと考えられます。

平成20年11月22日 尾久総合車両センターにて マヤ342004

平成22年11月20日 尾久総合車両センターにて マヤ342004
時代がずっと飛んで、25年後の去年の尾久セ公開時に撮った写真です。
軌道試験がクモヤE491になってからは全く出番がなくなり、荒廃し放題の姿に。でも、予備車の位置付けであるわけが無く、おそらく保存を見込んで解体を免れていると思われますが、あまり放置すると取り返しの付かないことに・・・早めの処置を望みます。
相当写真を撮ったような記憶のあるマヤ34ですが、フタを開けてみるとブレれていたり構図が悪かったり、感光していたりと良いものがありませんでした。
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