国鉄 直流型電気機関車:EF59(その2)
前回のEF59の続きで、昭和58年以降に撮影したものです。
EF59の形態は大きく分けると2つあり、1〜19号機までが元EF53からの改造車です。各車ともに個体差があり、パンタグラフがオリジナルのもの、PS22Bに換装されたもの、テールランプがオリジナルのもの、埋め込み式に改造されたものなど、外観でも違うものが存在しました。
また、20〜24号機はEF56から改造されたグループとなり、20〜23号機が前期型丸車体で、24号機のみは後期型の角ばった車体となります。前車と同様にパンタグラフがPS22Bに換装されたものが存在しましたが、テールランプが改造されたものは無かったようです。
初回の撮影ではEF56改造のEF59に逢うことが出来ず、既に全廃になったと思いこんでいたのですが、その後の情報で1両のみ残っていることを確認していたと記憶しています。目標をそこに定め、瀬野八2回目の訪問と挑みます。挑むというのは、駅間徒歩が当たり前の時代で、駅間10km超での撮影はかなり過酷なものであったからにほかなりません。

昭和58年5月15日 EF5918+EF59??
18号機は運転席が窓が白Hゴムで、プレート式のナンバーが特徴だったようです。埋め込み式のテールランプはオリジナルのEF53とは大きく印象を変えてしまっています。それでも、EF57までの旧型電機は引退してしまいましたので、この時代としても貴重な存在でした。

昭和58年5月15日 重連回送
この時の撮影は、前回訪問時と比較して明らかに運用が減っていました。もしかしたら、曜日が良くなかったのかもしれませんが、その辺りの記憶は全くありません。とにかく、ポイントで待っても何もこないような状態で、移動時間ばかりという印象。
そんな中、国道を移動中に逃してしまったものも多くあったのかもしれません。見通しの良い場所で移動中にこのようなコマを撮ったことは、当時、非常に悔しかったのですが、今この絵を見る限り、日野のトレーラーがこんなバッチリ写っていることに大変感動しています。トラコレで作ってみたいシチュエーションです。
この重連回送、左側が18号機のようですので、前の写真の補機が回送されたもののようです。右側がPS22Bへの換装車ですが、残念ながらナンバーが識別できません。

昭和58年5月15日 EF593+EF5921
確かこの撮影で撮った最後のコマだと思いますが、ここでやっとEF56改造の21号機に逢えました。しかし、後部ではなかったのでバッチリという訳にはいきませんでした。
この後、回送にも逢えず終いで、1日掛けて歩いた割に3コマという結果にガッカリ感は最大級のものでした。

昭和59年2月10日 EF591
3回目の訪問は、59・2改正で大宮操車場ハンプが解体され、余剰人員になってしまった時。何もやることが無いので同僚と旅に出ました。連続の休暇を取るのは容易ではなかったですから、この休暇取得も心情としては複雑なものでした。
既にEF61200の配備は終了し、EF671がちょうど誕生して運用に入った頃でしょうか。休眠状態のトップナンバーは、休車なのか稼働状況なのかもわからない状態。しかも驚いたことに、EF61200番代にも休車が発生していました。
貨物列車の大合理化により、青い新性能車ですらお役御免になってしまった悲しい改正でした。

昭和59年2月10日 EF5921
構内を歩いていると、隅っこの方にスペシャルプレゼントが転がっていました。
もう撮れないと諦めていたEF56改造の21号機が、なんとパンタグラフを上げて停まっていました。この時は本当に嬉しかったですね。テツではない同僚にはその喜びが伝わっていなかったようですが・・・。
重連運用が当たり前の瀬野八で、何故単機で待機していたのか今でも不明です。右側には、休車を免れたEF61200番代と、登場したばかりのEF671が写っています。
PS22Bに換装された姿にはガッカリというところでもあるんですが、最後の1両となったEF56の生き残り、贅沢は言えませんでした。

昭和60年3月30日 高崎第二機関区にて EF5911
高崎第二機関区に、全国から貴重な車両たちが集められました。その中に、廃車になったEF5911の姿も見られ、EF30とともに遠く西から来たメンバーに驚いたものです。
せっかくですから、よりオリジナルに近い形態のEF59の方が良かったのでは?と思いましたが、EF53の元ナンバーで最若番である同車を引っ張ったのでしょう。
同車はEF532に復元され、保存されています。
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