昭和63年3月、青函トンネルの開通と共に運転を開始した寝台特急「北斗星」が、新幹線の函館開業に伴っていよいよ廃止されることになりました。
本来の開業まではまだ1年ちょっとありますが、新幹線規格への切り替え工事や試運転などに夜間の通過が支障するといった事情で、廃止が1年早まるようです。臨時列車での運転は見込まれているようですが、この記事を作成している時点での正式発表は掲載されていません。
寝台特急の車掌になることを夢見て国鉄に入社した私。その夢は「分割民営化」という政治的策略ののもとに儚く消え去りましたが、鉄道の種別の中で一番好きだったのは、やはり寝台列車であり続けています。ブルトレか否かを問わず、583系も含めて大好きでした。
その昔、飛行機嫌いであった私は、例え九州でも北海道でも列車を利用しました。旅費節約のために普通列車や夜行急行の自由席利用が多かったですが、特に山陽方面には無理があったので、奮発してブルトレを使ったこともありました。
自分の脳裏から消え失せないうち、メモとしてここに残しておきたいと思います。
※時系列順に記載します。
「さくら」 昭和52年3月 静岡〜東京 立席
小中学校時代の友人の田舎に連れていってもらった際、結託して静岡から乗ってしまいました。
もちろん、寝台料金など払う気はなく、見つかったら立席でという覚悟でした。案の定見つかって特急料金を取られましたが、「良く知ってるなぁ〜」と笑って許してくれました。
東京着11:30の「さくら」では、そんなにのんびりと乗っている客はまったくおらず、丸で回送列車かと思うほど客が乗っていなかった印象が残っています。
「彗星5号」 昭和54年3月23日 新大阪〜大分 B寝台客車2段式上段
中学の卒業旅行の際、アルバイトの都合でみんなより出発が遅れ、1人旅でした。
東京発のブルトレでは現地着が遅くなってしまうため、新幹線からの乗り継ぎで、憧れの関西ブルトレに乗ることができました。
「ゆうづる12号」 昭和55年3月15日 青森〜上野 電車3段式中段
初めての北海道旅行の帰り。同行した同級生と気が合わず、別行動になったので早めの帰宅を目論んで出費しました。
「金星」 昭和57年10月2日 名古屋〜小郡 B寝台電車3段式上段
山口線、宇部線の撮影にあたり、11月15日改正で廃止となる「金星」をチョイスしました。今と違って、記念乗車するような輩も見られず、指定を取るのも難はありませんでした。
「明星2号」 昭和57年10月5日 小野田〜新大阪 グリーン→B寝台電車3段式中段
宇部線の撮影の帰り、延泊する予定を早めて乗ったのが583系「明星」。
小野田駅に停車する寝台特急がこれだけだったので選択の余地がありませんでした。
職割がきくグリーン車に乗りましたが、指定された席で車掌が作業を行っており、客も私1人だったので自由な場所へ座りました。直ぐに車掌が検札、自身が国鉄職員か聞かれたのでそのとおりと答えると、「空いている寝台を使いますか?」と言われたので、有難く使わせてもらった。唯一583系のグリーン車を利用しましたが、乗ったのはたったの1駅のみ。
「みずほ」 昭和57年11月28日 徳山〜静岡
国鉄職員時代、全国パスの受給資格が発生してから直ぐに廃止されてしまうという憂き目に遭い、意地でもということで決行した九州旅行。帰りがてら山口線に寄り、さらに大井川鉄道に寄り道するのに丁度良く停車する「みずほ」を利用しました。
「はやぶさ」 昭和58年5月14日 静岡〜小郡 客車2段式下段
山口線の撮影関連。時間があったので途中で写真を撮って静岡から乗り込みました。
「あさかぜ1号」 昭和59年2月9日 東京〜広島 B寝台客車3段式上段
大宮操車場のハンプが廃止になり、仕事が無くなってしまったので、同僚と山陽〜山陰〜京都を巡りました。
「はくつる」 昭和63年2月24日 B寝台 電車3段式中段
青函トンネルの開業を控え、青函連絡船と北海道南部地域の撮影に行った際のもの。
すでに国鉄を退社していたので平日の休暇が難しく、時間節約のため奮発しました。
「北斗星6号」 昭和63年6月28日 札幌〜上野 B寝台個室 上段
「北斗星4号」 平成元年7月3日 札幌〜上野 B寝台 客車2段式上段
「北斗星6号」 平成2年3月14日 札幌〜上野 B寝台 客車2段式下段
いずれもC623「ニセコ」の撮影がらみですね。東京にお昼前に着き、そのまま仕事に出勤して有給の節約と混雑帯のお土産輸送合理化を図りました。
「北斗星6号」 平成5年10月12日 札幌〜上野 A寝台個室 ツインデラックス
こちらは結婚後に初めて利用した時。北海道への新婚旅行が中止となってしまったためリベンジのような結果に。個室が取れずB寝台開放の指定でしたが、出発直前に窓口に問い合わせたらA寝台個室のキャンセルがあり、初めてツインデラックスに乗ることが出来ました。
しかし、既に経年で内装は傷だらけ。値段の高さの割にデラックス感がまったくありませんでした。
「銀河」 平成14年3月28日 東京〜新大阪 A寝台 開放式上下段
急行列車なのですが、形態的にはまったくブルトレと遜色がないので記載しておきます。
義理の従妹の結婚式で奈良に向かう際、時間節約のために「銀河」を使用しました。
娘が居るので下段を女房と使用させ、私は上段へ。
喫煙所のすぐ脇で大きな声で話すビジネスマンが入れ代わり立ち代わり、殆ど眠れず、A寝台料金を損した思いです。ちなみに、この日のA寝台売れ残りはたった1つだけ、ずごい乗車率でした。
「北陸」 平成20年4月21日 大宮〜金沢 B寝台個室上段
「北陸」 平成20年4月22日 金沢〜大宮 B寝台個室上段
485系「雷鳥」が全廃となるために撮影を組みました。これも有給節約のために往復「北陸」でホテル無しの強行軍。往きは興奮で眠れず、帰りは疲れて爆睡。
この時点では廃止のアナウンスはありませんでした。
「あけぼの」 平成24年3月13日 青森〜大宮 B寝台個室上段
十和田観光鉄道と「日本海」廃止にからんで撮影を組んだ際、B寝台利用可能のフリーきっぷだったので、敢えて「あけぼの」をチョイスしました。
運良く個室も取れ、ガラガラな車内も秋田を出た時には満席に。開放式の状況は分かりませんが、秋田以南の乗車率はそれほど悪くないように思いました。翌年、廃止されるとは夢にも思っていませんでした。
こうしてみると、結構乗りましたね。
「月光」や「きりしま」は時代違いですが、関西の「安芸」「なは」「あかつき」や日本海縦貫の「つるぎ」「日本海」「トワイライトエクスレス」など地域性を除けば、「出雲」「いなば」「瀬戸」「富士」辺りは乗れなかったのが残念です。あと「北星」「鳥海」「出羽」もありましたね。東北はクルマを使うことが殆どでしたし。
「北斗星」がなくなると、ブルトレは完全に消滅。昭和33年、20系の誕生以来でしたから、半世紀強といった歴史でした。自分の人生の「夢」が名実ともに消え去ろうとしており、本当に寂しくなります。

1