583系:寝台特急「はくつる」
「はくつる」は、上野〜青森間を結んでいた寝台特急列車で、昭和39年10月に急行「北上」の格上げにより誕生しています。
車両は20系客車を使用し、東海道のブルトレから転属した普通座席車のナハ20とナハフ20も使用されました。
昭和43年10月のダイヤ改正では東北本線が全線電化となり、同時に「はくつる」は583系電車寝台による運転となりました。

昭和52年頃 上野駅にて
583系で、まだ文字マーク時代の「はくつる」です。
15番線での写真ですね。あまり写りは良くありません。まだ一眼レフではなく、じいさんのカメラを借りて撮ったものです。このカメラ、二重合致式のピント合わせを必要とするのですが、これが慣れなくて難しかったですね。
この頃は、どアップでキレイにフレームに収まっているだけで嬉しかったものですが、今考えると、周囲の状況がまったく分からないですね。

昭和52年
これも文字マーク時代です。かなり暗い中を撮ったらしくて、無理矢理のスキャンです。
肝心のヘッドマークが飛んじゃってます。

昭和53年頃 上野駅にて 583系「はくつる」
上野駅15番線で暗いため、ハッキリしない絵になってしまいましたが、ご覧のとおり、九州から青森運転所にやってきた開放型タイフォンを装備するクハネ583−29か−30のいずれかの車両です。
青森運転所では、クハネ581の当初から暖地向けである開放型タイフォンを装備した583系の配置はありませんでしたので、この姿を見ることが出来たのは昭和51年から1年或いは2年程度ではなかったかと記憶しています。この写真も、もしかしたら昭和52年の撮影かもしれません。昼間の列車では良く見掛けましたが、「はくつる」での記録はこの写真のみでした。

昭和60年1月5日 栗橋〜東鷲宮間にて 「はくつる4号」
2往復になってからの「はくつる」。構図が悪いですね。もうちょっと先で撮れば良かった・・・。
食堂車込みの13両編成時代。当時は当たり前の編成でしたが、いちばん寝台特急らしい貫禄を備えていた時代でした。

昭和62年12月19日 蓮田〜東大宮間にて 「はくつる4号」
東北新幹線も上野開業を果たしており、9両編成と減車され、こじんまりしてしまった後の編成。それでも、今見てみれば貫禄は失われていなかった様に思えます。

平成14年8月11日 蓮田〜東大宮間にて 回送(「はくつる82号」のスジ)
客車化された「はくつる」に対し、臨時で残った583系「はくつる」。
「はくつる」廃止のプレスがあってから、客車「はくつる」とともに押さえておきたいと慌てて撮りに行った写真。

平成14年8月17日 蓮田〜東大宮間にて 「はくつる82号」
次の週にも出撃。客車「はくつる」と効率良く撮れるため、早朝にも拘わらず数多くのファンを動員しました。
朝9時のスゴク撮影し易い時間帯に走っていたにも拘わらず、撮った数は本当に少ないです。
やはり、通勤時間帯の後に居たせいで、他の列車とのつながりが無かったこと、ヘッドマークのイラスト化、客車化など、ことあるごとの変化を嫌ったような気がします。
気が付けば、「はつかり」「ひばり」「ゆうづる」「みちのく」の中でも、一番撮影した枚数が少なかったかもしれません。
『
EF81牽引 24系:寝台特急「はくつる」』


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