国電 103系:クモハ103
東日本では全滅して久しい103系ですが、関西ではまだ生き残りが多数存在していました。
しかし、ここに来て急速に淘汰が始まったようで、平成26年度において103系のうちクモハ103が廃形式となったようです。
関東でクモハ103系と言うと3両編成の短編成を想像してしまう方も多いと思いますが、8〜10両編成を組む103系にあって一番身近に見ていたのは京浜東北線に他なりません。
新性能化に当たって10両貫通を前提としていた京浜東北線ですが、蒲田電車区の検修庫の関係で7+3に分割する必要があり、クモハ103を編成中に2両も組む特殊な編成になったと聞いたことがあります。

昭和55年頃 京浜東北線 西川口〜蕨間にて
地元を走る京浜東北線。フィルムが勿体無いのであまり撮ることをしませんでしたが、ATC化によって低運が中間封じ込めになる情報があったため、晩年は何枚も撮っていました。

昭和56年頃 京浜東北線 西川口〜蕨間にて
パンタグラフの無い先頭の流し撮りですが、台車を見れば判るのもクモハ103の特徴です。

昭和52年頃 京浜東北線 西川口〜蕨間にて
オレンジ色の京浜東北線クモハ103+モハ102を含む編成。訳あってこんな変わり種が走っていました。詳しくは『
103系:オレンジ色の京浜東北線』で別紹介しています。

平成14年5月5日 鶴見線 安善〜武蔵白石間にて
103系晩年の鶴見線。3両編成のため、全ての編成にクモハ103が組まれていました。

昭和57年の5月頃か10月頃 上野駅にて
常磐線も都心部では最後に新性能化された路線でしたが、ここでもクモハ103が取手方に連結されていました。写真はまだ15両編成が誕生する前。

昭和53年2月19日 青梅駅にて スカイブルーの青梅線
京浜東北線のATC化で余剰となった103系が青梅線・五日市線に進出。
4連ですがクモハ+モハ+サハ+クハで組成され、転属当初はほとんどの車両がスカイブルーのまま走っていました。

昭和61年3月17日 青梅線 軍畑
青梅線・五日市線に封じ込めの編成たちでしたが、工場入場の度に塗り替えが行われ、101系と同じ姿になって活躍ししました。

昭和55年1月? 矢吹駅?
東北に撮影に行った帰り道だと記憶していますが、通り掛かった交流区間の駅に直流型の103系が留置されているのを発見し、途中下車して撮影したものと記憶しています。
それまであまり見た記憶の無いウグイス色のクモハ103ですが、おそらくはATC・冷房化で余剰となった横浜線用の103系を仙石線用に転用するため疎開していたものと思われます。
横浜線は殆ど撮ったことがないので、ウグイス色で記録できた唯一のクモハ103です。
余剰で使いまわしにされたクモハ103はATCの導入されなかったほとんどの路線に転用されていたものと思われますが、通勤型を追い掛けることは殆どなかったため、あまり写真が見当たりませんでした。
それでも、モノクロを含みますが5色のクモハ103の記録を残すことが出来ました。
思い起こせば、小学生の頃、最初に形式に興味を持った車両がこの「クモハ」103だったかもしれません。
50年にも及ぶ活躍、お疲れ様でした。さようなら、クモハ103。


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