14系ジョイフルトレイン:「サロンエクスプレス東京」→「ゆとり」
平成27年7月7日、長らく尾久車両センターにて保留となっていたお座敷客車「ゆとり」のスロフ2両が長野総合車両センターに廃車回送されました。

平成24年11月10日 尾久車両センターにて
さよなら運転後、中間車が廃車された後も、両端のスロフ14形2両は解体を免れており、誰もが保存されるものと考えていたと思います。
しかし近年においては、特に補修なども行われておらず、その姿が段々と無残なものになっていました。
元々は、国鉄初の団体専用欧風客車「サロンエクスプレス東京」であり、昭和58年に14系客車からの改造により誕生しました。また、当時は国鉄から絶滅してしまった展望車を備えるものであり、関西の「サロンカーなにわ」とともに大きな話題となりました。

昭和60年11月4日 岡部〜深谷間にて

昭和61年2月12日 栗橋〜東鷲宮間にて
時は好景気、贅沢な旅を演出するジョイフルトレインが続々と誕生し、ジョイフルトレインという名前が出てきたのもこの辺りだと思います。
牽引機を選ばない車両のため様々な機関車に牽引されましたが、その出で立ちや豪華さからEF5861が先頭に立つことが多かったように思います。
昭和60年6月20日 大沢〜関根間にて ED78牽引 「サロンエクスプレス東京」
国鉄時代はエリア設定がないようなもので、夜行にならない範囲はくまなく足を伸ばしていました。

昭和59年5月 蕨駅付近にて EF651108牽引
「サロンエクスプレスそよかぜ」
多客臨にも使用され、グリーン料金で乗ることも出来ました。
ここでも牽引機にはEF5861が先頭に立つことが多かったように思います。詳細はリンク先で。
昭和60年2月9日 吾妻線 小野上〜祖母島間にて EF15165牽引 団体列車
団体列車の利を生かし、滅多に見られ無い組み合わせも時として巡り会うことが出来ました。
こちらも詳細はリンク先で。
「サロンエクスプレス東京」の晩年にはD51498が牽引したこともありますが、未スキャンなので出来ましたら追ってアップいたします。
平成8年度に「サロンエクスプレス東京」としての営業を終えた後、7両編成から1両減車してお座敷列車へ改造、「ゆとり」として再び線路に戻りました。外観は「サロンエクスプレス東京」時代と殆ど変りありませんでした。

平成20年3月2日 西川口〜蕨間にて EF6439牽引 「さようならゆとり奥利根」

平成20年3月9日 真鶴〜湯河原間にて EF651118牽引 「さよならゆとり」
全国的にも客車によるジョイフルトレインが撤退し、機関車の維持の問題もあるでしょうから、高崎区など一部を除いては客車の全廃も已む無しというところです。
「サロンエクスプレス東京」から25年続いた欧風客車の始祖も、西の「サロンカーなにわ」を残して歴史の幕を閉じました。

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