臨時寝台特急「エルム」(展示車)
「エルム」という列車名は、室蘭〜札幌間を結んでいた準急列車に使用されていた。昭和25年〜昭和36年ということから、かなり由緒のある名称ですね。
一旦は消滅しますが、北海道第3の特急列車である「北斗」がキハ82系で運転され、3往復に増発されるようになると、函館〜旭川間と函館〜札幌間という区間違いが発生し、これを整理するためか、函館〜札幌間の1往復を「エルム」と改称し、復活することになります。昭和44年10月のことでした。
しかし、昭和46年7月にまた「北斗」に編入されてしまったため、その復活も2年足らずで再び消滅してしまうことになりました。
子供の頃、雑誌で見たキハ82「エルム」は、当時としても特急「オホーツク」以外に初めて見るカタカナ名の特急列車で、すごくかっこいい名称だな、と思っていました。ちなみに、昭和47年以降しばらくの間は「オホーツク」国鉄唯一のカタカナ特急であり、「オホーツク」の誕生前は「エルム」が唯一の列車だったようです。
時は過ぎ、青函トンネルの開業により寝台特急「北斗星」が運転を開始。当初は3往復のうち1往復は季節列車扱いとなっており、3・4号は食堂車の連結もないモノクラス編成となっていました。しかし、「北斗星」人気は留まるところを知らず、供給が追い付かない状況が続いたため、個室寝台を追加の上、食堂車を連結、定期化により3往復体制となります。
さらに、多客期にはこれでも供給が追い付かないため、予備車を使用して平成元年7月21日からモノクラスのみの臨時寝台特急が増発されます。
この列車に「エルム」の名称が充てられ、2度目の名称復活となりました。
運転本数はそこそこありましたが、臨時スジが限られている中で「夢空間北斗星」や山線経由、トマム方面など多数の列車が仕立てられたため、やや不安定な運転設定であったように記憶しています。
そして、「カシオペア」の誕生や利用者の減少もあり、平成18年のお盆輸送をもって運転が終了したようで、華やかであった北海道直通寝台特急の中でも一番地味な存在のまま、3度目の愛称消滅となってしまいました。
私が地元での撮影を復活したのが平成20年頃でしたので、日中の一番光線状態の良い時間帯を走っていた列車でありながら、ただの一度も撮影したことがありませんでした。撮りたいと思った頃には既に「北斗星」も2往復に減便されており、さらに1往復化されてしまうほど衰退していました。
したがって、私が撮った写真は尾久センターでのふれあいフェスタで撮影したもののみとなっています。

平成20年11月22日 EF8186
尾久センターではメジャーな存在である筈が、この1回しか撮ってありませんでした。
※他の回で展示された可能性もあります。

平成21年11月14日 DD51842

平成26年11月15日 DD51895

平成27年11月14日 DD51842
何故か実在しなかった筈のDD51の原色が3回も???
でも、こんなのが牽いている「エルム」を見てみたかったですね。

平成27年11月14日 オハネフ25
ブルートレインが全廃となり、車両が無くなってしまえばこのような展示すらできなくなってしまいます。
このオハネフの最後の展示になるかもしれない回では、センターの計らいで「北斗星」と「エルム」の並びが展示されました。
それまで客車での「エルム」の展示は記憶にありませんので、この回はこの写真を撮れたことが一番うれしかったかもしれません。本当に行って良かったと思いました。
まだ「記録」という意識が薄かった時代に無くなってしまった列車たち。
この列車も撮らずに終わらせてしまったことを後悔した列車でした。


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