国鉄 直流型電気機関車:EF58114・116・117・119(宇都宮運転所)
EF58シリーズ、今回は宇都宮運転所に所属した114号機、116号機、117号機、そして119号機です。
いずれもあまり特徴的なカマではありませんでした。
昭和50年代前半くらいまでは原型小窓だったようですが、宇都宮運転所の他のカマと同様に、晩年はHゴム化され、さらに最末期にはデフロスタが装備されたようです。

昭和55年4月27日 蕨駅にて EF58114牽引 臨時特急「はつかり51号」
繁忙期の常連となっていた14系座席車使用の
臨時特急「はつかり51号」。
この頃はまだデフロスタが装備されていないようです。

昭和55年7月23日 南浦和〜蕨間にて EF58114牽引 「おが4号」
ブレブレですが、辛うじて判別できました。
季節急行「おが4号」の旧客時代です。

昭和59年9月 蕨駅付近にて EF58114牽引 12系客車
サボが無く、乗客もないようなので、回送列車かと思われます。
既に活躍末期になっていますが、この時にはデフロスタが装着されていました。

昭和60年1月頃 与野駅にて EF58114+マニ60+マヤ34
回送列車のようですが、東北本線の軌道試験列車です。『
国鉄 マヤ34:高速軌道試験車』でご紹介しています。

昭和60年1月5日 栗橋〜東鷲宮間にて EF58114 荷物列車
荷物列車としても末期の頃。EF58の活躍も最後を迎えていました。

昭和52年3月21日 栗橋〜古河間にて EF58116牽引 旧型客車による集約臨
まだ中1の頃で思いっきり構図を外してしまいましたが、旧客を牽く116号機です。
時刻表に無かったので何かと思いましたら、サボ受けに「修学旅行」のサボが入っていました。
態度の悪そうな高校生が文句でも言いそうな顔で窓から顔を出していたのを今でも覚えています。
まだ原型小窓ですが、フィルタはヨロイ戸型になっています。

昭和55年頃 蕨〜西川口間にて EF58116+スニ41
急行「八甲田」かと思っていましたが、すれ違っている165系と思われる列車に511Mと表示があり、これが「日光1号」「わたらせ1号」だとすると、尾久送りの回送列車かもしれません。
Hゴム化されてしまっていますが、デフロスタは装備されていません。
※改めて調べたところ、165系が2511Mだとすると急行「なすの1号」となり、蕨付近で「八甲田」とすれ違いになる可能性が非常に高いことが判りました。「2」を入れ忘れたか、運転台に見当たらなくてそのままにしてしまったか・・・そんなところかもしれません。

昭和54年8月 尾久駅にて EF58117牽引 12系客車
突然来た列車で慌てて撮ったものですが、この時代でも昼間の下りの客車急行の設定は殆どありませんでしたので、団体かと思われます。夏なのに窓全開でヒジが出ていますので、集約臨の可能性が高いですね。当時は冷房使用が高校生には贅沢と扱われていたような記憶があります。
この117号機は、昭和54年時点で既にデフロスタが装備されています。

昭和57年11月6日 上野駅にて EF58117牽引 寝台急行「新星」
急行「新星」を牽引して上野に到着した117号機。

昭和56年 南浦和〜蕨間にて EF58119牽引 上り急行「八甲田」
あまり遭遇機会がなかった119号機で、既にHゴム化、デフロスタ装備の出で立ちとなっています。過去ログ『
EF58・EF65・ED75牽引:急行「八甲田」(12系時代)』でご紹介しています。

昭和56年 上野駅にて EF58119牽引 荷物列車
同じ頃、上野駅で撮影していた時に偶然捉えたもの。
先般『
EF15牽引:荷物列車』でご紹介いたしました荷2935レと思われます。
まだEF15が残っていたと思いますが、EF58牽引に変わってガッカリした記憶が甦ってきますが、この列車を牽くEF58はかなり短期間であったため、こちらの記録も貴重なものです。
こうしてみると、114号機はやたらと当たる機会が多かったようです。地元ながらまったく記録していないカマもありますので、縁があったりなかったり、と言う感じでしょうか。
114号機
昭和31年11月14日新製 東洋電機・汽車会社製 浜松機関区
東京区→宮原区→広島区→下関区→広島区→宇都宮区
昭和60年 5月16日廃車 田端機関区(宇都宮運転所を統合)
116号機
昭和32年 3月29日新製 日本車輌・富士電機製 東京機関区
宮原区→広島区→宇都宮区
昭和60年 6月27日廃車 田端機関区(宇都宮運転所を統合)
117号機
昭和32年 3月13日新製 東芝製 東京機関区
昭和58年 6月18日廃車 宇都宮運転所
119号機
昭和32年 3月 4日新製 川崎車両・川崎重工製 浜松機関区
昭和57年12月 8日廃車 宇都宮運転所


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