115系後期冷房車:東北本線・高崎線
高崎地区の115系が最後の活躍となっています。
昭和40年代から地元の本線普通列車と言えば115系というくらい台頭していた車両でしたが、国鉄時代末期から211系が誕生すると、115系も地方に追いやられることとなりました。
115系初期車については過去ログ『
115系初期非冷房車:東北本線・高崎線』で既にご紹介しておりますので、今回は300番代の冷房車や、末期の1000番代の写真を集めてみます。

昭和54年頃
昭和40年末頃になると、通勤列車への冷房搭載が実施されるようになります。
新製から冷房を搭載した115系は300番代となり、前照灯がシールドビーム化され、顔つきがかなり変わりました。
さらに、昭和52年頃からは旧型国電の淘汰が活発となり、東北・高崎地区のみならず、新潟地区や長野地区、さらには身延線や岡山地区などの115系も新製車が投入されます。これらについてはシートピッチの改善や耐寒耐雪構造などが施され、1000番代、1200番代等に派生し、勾配線区を中心に活躍しました。

昭和60年11月4日 高崎線 岡部〜深谷 115系同士のすれ違い
東北本線及び高崎線ではごく一部の普通列車が客車又は急行型車両による運用が残りましたが、殆どの普通列車は115系となり、7+4の11連又は7+4+4の15連で運転されていました。

昭和60年6月2日 蕨駅にて 115系混色15連
東北・上越新幹線が開業すると、昼間の特急・急行列車が居なくなってダイヤに余裕ができ、普通列車の増発が図られます。
しかし、当時の国鉄は在来線の新製投入まではさすがに財力がなく、短編成化により本数を確保する方法を採りました。これは普通列車に限らず、特急列車も同様でした。
ここで不都合が発生します。先頭車の不足です。
元々都市圏の長大編成を前提に制作された近郊型電車でしたので、モハの比率が高くなります。それでも、将来の短編成化を見込んでいたようで、7両編成の中間T車にクハを挟んだ編成も多く見られました。

昭和60年7月28日 東北本線 栗橋〜古河間にて 115系混色7連
全国的に実施された短編成化により先頭車が不足し、一部は中間車サハやモハを電装解除してクハ化したものもあります。しかし、東北・高崎線では7両編成も存置されたため、中間封じ込めされていたクハを地方へ供出し、代わりに中央東線の115系で使用されていたTT車の一部が転属してきました。このクハ→サハの置き換えに際し塗装変更せずに検査まで使用したため、上の2枚の写真のように、混色編成が一時期存在しました。

昭和62年3月19日 東北本線 栗橋〜東鷲宮間にて 115系7連
それまで11連又は15連で運転された115系普通列車でしたが、日中の本数確保のために短編成化され、それまで見ることのなかった7連や4+4の8連が走るようになりました。
しかし、本数が増加したとはいえ利用者数も向上したため、日中の閑散時間帯においても大混雑する列車が見られるようになります。

昭和62年12月29日 東北本線 栗橋〜東鷲宮間にて 14連普通列車
さらに、日中には大宮折り返しの普通列車が増発されますが、これらには7連や写真のように4両編成まで設定され、混雑に輪を掛けることになります。
ちなみに、これら大宮折り返しの列車は、その後の湘南新宿ライン乗り入れ列車の布石となるものです。

平成14年8月11日 東大宮〜蓮田間にて 115系11連

平成14年8月17日 東大宮〜蓮田間にて 115系11連
昭和60年後半くらいになると、これら車両不足を解消するためか、211系が投入されるようになります。
また湘南新宿ラインの奔りとなる、大宮〜新宿間の乗り入れも始まり、4連や7連といった短編成の運用は解消されることになりました。

平成16年8月14日 西川口〜蕨間にて 115系 快速
運用が改善された115系でしたが、初期車の老朽化や後期車の地方転出などにより運用が激減。さらにE231系も導入されるようになり、この写真を撮った平成16年10月をもって、上野口の運用から撤退となりました。
115系関連のリンクを貼っておきます。
『
115系(新長野色):中央本線』
『
115系:初代長野色』
『
115系スカ色:中央本線(中央東線)』
『
115系新潟色:信越本線』
『
115系湘南色終焉:上越線』
『
115系 初代新潟色:上越線』
『
115系新潟色:上越線』
『
115系3000番代:誕生当初』
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