DD13牽引 12系お座敷客車「いこい」:団体列車「さようなら清水港線」
昭和59年3月31日をもって廃止となった清水港線。1日にたった1往復のみの旅客列車しか走らない路線として、当時は結構有名でした。
国鉄時代末期となる昭和50年代後半は、赤字ローカル線の廃止で全国的な鉄道ブームが沸き起こっていました。その中でも1日1往復のみ、しかもそれが当時としてもかなり少なくなっていた客貨混合列車が走っているということで、鉄道ファンで知らない人は居なかったと思います。
廃止1週間前の土日、清水港線に惜別の団体列車が仕立てられたという情報があり、あまりそのような話題に乗ることが無かった私も、初めての清水港線へ1人で行ってきました。

昭和59年3月22日 DD13203+DD13140牽引 12系お座敷客車 送り込み回送
沼津区に所属する12系お座敷客車を翌朝の運用に備えて前日に送り込みが行われました。
当時は詳しい情報がありませんので、まさか重連で来るとは思いませんでした。
土曜日は途中の工場で203号機が入換をしていましたので、夕方の定期運用の送り込みスジを利用して回送を行った結果、このように重連になったのではないか?と推測されます。
構内に入ると最徐行。後部もパチリ。
線路際で遊ぶ姉妹も、もう40歳前後になっただろうか。

昭和59年3月22日 三保駅にて(再掲)
三保駅に到着した12系お座敷客車「いこい」は、翌日の運用に備えて正向きに側線に停留されました。
そして、その横には当日の上り列車も整列し、普段は1往復しかない同線で珍しい客車列車の並びが実現しました。

DD13203+12系お座敷客車
最後を目前にした清水港線の混合列車ですが、明日の主役はコチラ。

昭和59年3月23日 巴川口〜清水ふ頭間にて 団体列車「さようなら清水港線」
翌朝、三保駅発の団体列車が運転されました。
プリントからのスキャンでナンバーは不鮮明なのですが、おそらくは前日に準備されていたDD13203号機の牽引と思われます。
当日は沿線までの足がないので、清水駅前のホテルから徒歩にて移動、当時としても珍しかった可動橋で撮ろうと初めから決めていました。同じことを考えていた撮影者は多く、ここにはかなりの人数が集まっていた記憶があります。
同じ静岡局の地元で活躍し、稼働率の高い12系お座敷客車「いこい」でしたが、清水港線に入線したのは最初で最後だったんではないかと思います。
同日に撮影した定期便については別の機会にご紹介したいと思います。
『
さよなら清水港線 おわかれ乗車券・入場券』
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