国鉄 貨車(車掌車):ヨ2000?ヨ5000?
このところ貨車とか貨物列車の記事をばかリ。
記憶だけではいい加減なことを記述してしまう可能性が高いため、様々な記事や記録を参考にさせていただいています。
そうしたことを日々行っていると、意外な記録を見つけてしまうことがあります。
ある方のブログを拝見しているとき「ヨ2000」に関する記録を見つけました。
50歳半ばを過ぎた私でも、国鉄車掌車と言えばヨ5000やヨ6000が主流であり、二段リンクに改造されなかったヨ3500くらいが記憶に残っているところです。
そこでヨ2000に関して調べてみると、ヨ3500よりも前に製造された車掌車であることが判りました。そしてその画像を見て愕然としました。子供の頃の記憶が蘇ってきたのです。
私が小学生の頃、線路際で写真を撮っていると、当時は結構多くの貨物列車が通っており、車掌車の中にはヨ5000のコンテナ色やワフ21000、ワムフ100といったレアな車両も見た記憶が鮮明に残っています。しかし、いずれも貨物列車の最後部であり、咄嗟の出逢いとなるため、いずれもそれらを写真に残すことは叶いませんでした。
その記憶の中に、デッキが鉄板ではなく鉄棒で組まれた戦時車のように簡素な車掌車があったのを思い出しました。
あれはヨ5000の個体差だと思っていましたが、ヨ2000という別形式の車掌車であることを今更知ることになりました。
そして、その記憶の中に「ひょっとして」いう記憶が蘇ってきました。

昭和59年3月22日、清水港線三保駅にて
以前ご紹介いたしました清水港線でのスナップ写真です。
このときは富士山がキレイに見えたためにこの構図で撮影したのですが、画面右側にそいつの記憶が残っていたのです。
スキャンをし直してアップにした画像です。サービスプリントからなので画質が良くないのですが、一見してデッキが丸棒で組まれた簡素な造りであることが判ります。
当時は既に国鉄で働いていましたし、貨車の知識もかなり備わってきた頃でしたが、この撮影は清水港線の廃止直前、臨時お座敷列車の入線とイベント尽くしであり、とてもこの辺りに神経が及ぶことはありませんでした。まして、スナップでたまたま画角の合う望遠レンズを使ったことで、予期せず写っていたというものでした。
しかし、さらに調べを進めたところ、非常に厄介なことになりました。
ヨ5000の中にも丸棒で組まれた個体の写真が出てきたのです。どういうことか調べると、初期のヨ3500(3500〜3549)はヨ2000と全く同じ形態で設計・制作されていたため、ヨ2000と外観からの区別が付かないようです。さらに厄介なことに、このうちの一部が2段リンク化されてヨ5000(13500)に編入されたということです。
つまり、ヨ2000と同様の形態はヨ3500にもヨ5000にも見られるということになってしまったのです。
ただし、ヨ3500については、北海道や四国に封じ込められ、本州では一部が横軽用に使用されるのみとなっていたようなので、ここ東海地区に存在した可能性はほぼないということになります。
何かヒントが無いか拡大してベンチレータを探ったりもしてみたのですが、いずれの形式も個体差が結構あるため、結論には至りませんでした。
今からすれば近くに行って撮っていればというところでしょう。しかし、この1年後には緩急車連結廃止になるなんて全くもって想像できませんでしたから、ノーマークであったとしても仕方のないことでした。
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