DD51牽引 50系客車:磐越西線(その1)
磐越西線は郡山〜新津を結ぶ路線で、スイッチバックとなる会津若松を起点に運転形態が大きく変わります。また、郡山〜喜多方間は交流電化されている関係で、会津若松〜喜多方間は郡山からの電車と新津からの非電化列車が同居しているという、変化のある路線となっています。
現在は全線から定期客車列車が撤退してしまったため、郡山方の電車運用と新津方の気動車運用が中心となりますが、かつては全線を通して客車列車が運転されていました。
会津若松〜新津(新潟)間の客車普通列車は、無煙化からDD51が牽引機として活躍し、昭和50年後半頃までは旧型客車が使用されていましたが、東北本線とは違い、磐越西線では早くから50系客車が使用されました。
私が友人と非電化区間へ良く通うようになった頃には既に旧型客車が撤退しており、当時新型であった50系客車は興味の対象外となっていましたが、東日本ではディーゼル機関車が牽引する客車列車が殆どなかったためか、地域別に捉えてみると、一番多く通った路線でした。
今回は50系客車時代の客車普通列車の写真を集め、1回目として昭和時代に撮影したものをアーカイブしたいと思います。

昭和62年6月13日 山都〜喜多方間にて DD51781牽引

昭和62年6月13日 喜多方〜山都間にて DD511182牽引
運転免許取得後で、ED77の記録も兼ねて訪れていたようであり、足を延ばした程度の感覚で初訪問となったようです。

昭和62年6月14日

昭和62年6月14日 DD51793牽引

昭和62年6月14日 塩川〜会津若松間にて DD51757牽引

昭和62年6月14日 塩川〜会津若松間にて
この時もED77絡みですが、ED77牽引普通列車の写真を撮らずに、山奥まで入っていたようです。
50系客車は、基本的にオハフ+オハ+オハフ+オハ+オハフの5両編成が基本となっていたようでした。

昭和62年11月22日 山都〜喜多方間にて

昭和62年11月22日 喜多方〜塩川間にて
こちらは晩秋となります。
バックは飯豊連峰でしょうか、既に積雪があったようですね。
通勤通学の列車は、ご覧のような8両編成という長い編成が使用されていました。

昭和63年2月13日 喜多方〜山都間にて
こちらは青函連絡船の廃止前、北海道渡道への訓練を兼ねて訪れたもの。
客車列車を撮るというより、
12系お座敷客車を牽くDD51745を撮るためにわざわざ訪れた時に撮影したものです。
平成時代になってからの写真も何枚かありますので、別の機会にご紹介したいと思います。
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