旧型国電:クモハ12
クモハ12形電車は、昭和8年に誕生した旧33系両運転台型のモハ34形を起源とする17mの電車です。
戦時中の輸送力増強の必要性から片運転台へ改造を行うなどしたために両数が減りましたが、戦後再び増結用車両の必要性などから、旧31系からの両運改造により、形態の異なるモハ12形がクモハ12に編入されバラエティになっていきます。
新性能車が誕生し勢力を伸ばすようになってくると、輸送力に劣る17m車両運転台車は荷物電車クモニ13や事業車に改造され、晩年に活躍していたのはごく限られた地域・線区となっていました。

昭和53年2月19日 武蔵白石駅にて
かつて鶴見線大川支線で活躍していたクモハ12050番代。モハ31系クモハ11からの改造車です。
全国で最後まで残ったクモハ12の営業線で、老朽化による101系への移行と共に、ホームごとその使命を終えることになり、武蔵白石駅は接続駅としての役割もなくなってしまいました。

昭和54年12月頃 浜川崎駅にて
こちらは南武線浜川崎支線ですが、本来であればクモハ11+クハ16となるところ、クハ16に代わってクモハ12が連結され、2Mで運転されていました。
両運転台の特性を生かしたもので、知らないだけで結構このような運用が行われていたのかもしれません。

平成21年8月22日 クモハ12054 佐久間レールパークにて
佐久間レールパークに保存されていたクモハ12054。
なぜ鶴見線用の車両がここに?と思いましたが、この車両は比較的に早いうちに鶴見線を離れ、静岡運転所で長く使用されたようです。その経緯もあって解体されないままJR東海に継承されましたが、同パーク閉園に伴って解体されてしまったということです。勿体無い・・・

昭和58年6月29日 浜松工場附近にて クモヤ22112
運転台無しのモハ10を両運転台に改造しクモヤ22となった車両ですが、鉄道ブームに乗って旅客用に復元、クモハ12041として飯田線を走りました。
本来、クモハ12としては仙石線に存在した12040がラストナンバーとなりますが、元々クモヤ22112はクモハ12としての原番号を持たなかったため、このラストナンバーの追番号を名乗っていました。
事業用車然とした前面に「クモハ12」としての風格は感じられず、違和感アリアリであったことも原因となり、大好きな飯田線にはまったく訪問することはありませんでした。
17m車の中ではクモハ12は好きな形式でしたが、昭和30年代に廃車されてしまったものも多く、お目に掛かれる機会というのはなかなかありませんでした。大糸線のダブルパンタ車や気動車色を纏った12040なんかも見てみたかったですね。


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