583系 クハネ581:特急「はつかり」(常磐線)
既にアーカイブ済みの特急「はつかり」ですが、先般、金町のHさんより常磐線を走る特急「はつかり」の貴重な画像の提供を受けましたのでご紹介したいと思います。
特急「はつかり」が誕生したのは昭和33年10月。特急「つばめ」が電車化されたことにより余剰となった客車を転用した客車編成で、東北初の特急列車として設定されました。
昭和35年12月、特急形気動車の開発によりキハ80系(キハ81)よる運転が始まります。開発を急いでしまったために故障・不具合が多発したことは有名です。
そして昭和42年に誕生した世界初の電車寝台の特急形車両581系が誕生。翌43年には50Hz区間も走行可能な583系が追って製造され、全線電化された東北本線に導入されることになります。
この583系による「はつかり」の運転は昭和43年10月ダイヤ改正からとなりますが、その導入はやや前倒しとなり、改正前月の昭和43年9月より、気動車時代のスジのまま、常磐線経由で運転が開始されました。

昭和43年9月頃 常磐線 金町〜松戸間 特急「はつかり」
※金町のHさんよりご提供。
常磐線の江戸川橋梁を行く583系による特急「はつかり」で、登場当初のためクハネ581が両先頭に連結されています。
この時代はまだ片側のみ旧橋が使用されていたようで、右側には新しい複線分の橋梁が架橋されている様子が分かります。
583系が誕生した当初は電動車のみの対応となっており、共通して使用できる付随車は581のままになっています。しかし、MGの小型化により床下装備が可能になったことにより、クハネ583が誕生し、定員の増加を図ることができました。昭和45年のことでした。
これにより、混雑が激しかった青森車はすべてクハネ583に交代し、余剰となったクハネ581はすべて西日本へと転属しています。
そしてこの常磐線経由の583系「はつかり」ですが、昭和43年10月1日改正より正式に東北本線経由として再出発となる前、同年の9月9日より先行導入となったため、わずか3週間のみ見られた姿となるそうです。その後昭和45年8月に臨時特急「はつかり」として常磐線経由で運転されたことがあるそうで、おそらくその時にはこの橋梁の様子も変わってしまったことでしょう。
そんな1枚の写真、クハネ581であること、常磐線であること、旧江戸川橋梁を渡っていること、どれを取っても貴重な時代の記録となっています。
ちなみに・・・
クハネ581は581系と言われがちですが、581系に属するクハネ581は−9番までであり、−10番以降は583系に属する車両となります。この583系クハネ581は青森と南福岡へ導入されていますが、青森車についてはタイフォンにシャッターが付いた開閉式を採用し、雪の侵入防止を図っています。クハネ583導入によりクハネ581青森車は南福岡へと転属しますが、開閉式のタイフォンのまま使用されたため、西日本に見られるクハネ581の中でも東北出身であることが一目瞭然で判る姿で走っていました。
特急「金星」
特急「しらさぎ2号」
名古屋発着として異色の寝台特急だった「金星」。間合い運用で「しらさぎ」にも充当されており、当時は唯一となる北陸本線運用でした。
特急「雷鳥」
「しらさぎ」は昭和53年10月ダイヤ改正で消滅しますが、変わって大阪発として特急「雷鳥」に4往復が設定されます。しかし、これには九州特急の相棒がおらず、夜行需要の低迷による485系代わりという位置付けになっていました。※雪害等による運用への支障から切り離す意味があったような・・・。
583系「彗星」 回送
同時期に撮影した九州特急の「彗星」。時間的には「雷鳥」に運用することは可能だったと思いますが・・・。問題は夜発への運用ですかね。
これらの写真を撮影した時代にはそんな事情を考えたこともなかったですが、今こうして調べてみるとある程度の答えが出てきますし、そんな様々な事情があったんだな〜と今更ながら感心してしまいます。
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