八十八ヶ所札所参りよりもへんろ道に興味をもってしまった。
もちろん札所があるからへんろ道があるわけで、札所そのものを軽視するわけではないが、癒しの本質は札所でなくてへんろ道にあると確信している。
八十八枚の札をそろえれば極楽浄土への道が与えられるのなら、バスでもタクシーでも使って、楽して快適に足早に回れば済むことである。
お遍路の心得として十の戒めがある。
(10善戒)
不殺生(ふせっしょう) 生き物を殺しません。
不偸盗(ふちゅうとう) ものを盗みません。
不邪淫(ふじゃいん) みだらな男女の関係をしません。
不妄語(ふもうご) うそいつわりをいいません。
不綺語(ふきご) たわごとをいいません。
不悪口(ふあっく) 人の悪口をいいません。
不両舌(ふりょうぜつ) 二枚舌を使いません。
不慳貪(ふけんどん) ものを慳み貪りません。
不瞋恚(ふしんに) いかり憎むことをしません。
不邪見(ふじゃけん) まちがった考え方をしません。
これを守りながら歩き続けている人々である。神聖な人々である。
小さい頃から規制されることに慣れているせいか、戒めはすんなりと入ってくるが、私は一日一善みたいなプラス思考で行脚する方が好きだ。
寝るときに今日は戒めを破らなかったかでなくて、どんないいことをしたと反芻しながら眠りに落ちる方がいい。
1番から10番まで吉野川北岸に並んでいたが、11番で吉野川を渡る。藤井寺である。
藤井寺の山門には12番焼山寺の案内標識はない。なぜなら藤井寺の奥に迫る山のなかに遍路道があるから。
一気に標高をかせぎ、背後の尾根に出る。5時間近くの山道を歩き焼山寺の山門に至る。
途中、長戸庵、柳水庵、一本杉庵と庵が点在する。柳水庵では寝具も準備してあり寝泊まりすることができる。
12キロは思索にふけるに十分なくらい長く、険しい。
(この遍路道については、すでに私のブログにアップしています。
http://white.ap.teacup.com/yofune/44.html)
12番焼山寺
「一に焼山、二にお鶴、三に太龍」遍路道が険しいことで有名な3つのお寺のひとつ。
遍路ころがしとも呼ばれる難所である。
(焼山寺はmixiの私の日記にも掲載しています。mixi会員の方は見ることができます。)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1273546461&owner_id=6687768
焼山寺から大日寺までは玉ヶ峠を越えることもできるし、神山町役場まで下り、神山温泉、四季の里で一風呂浴びて鮎喰川に沿って下ることもできる。
四季の里の下にある道の駅。
道の駅から少し戻って、鮎喰川沿いの遍路道をサイクリング。ほとんど車の通行はない。
のどかな遍路道。
柿も鈴なりになっている。
結構、深い渓谷である。
玉ヶ峠を越えてきた遍路が、県道に合流するところにお堂があった。
薄い板を架けただけの橋。幅も狭いので、高所恐怖症やめまいのある人は避けた方がいい。
風力発電のある休憩所。
お接待でいろいろなものが用意されている。
般若心経の中にある、
色即是空
空即是色
の文字が見える。
色、形をもって現れているものは、こだわりを取り去っていくと実体は危うくなり消え去ってしまう。実体としてないものが願望や欲望によって、色、形をもって現れるようになる。
といった意味になるのだろう。
その他、般若心経には
差別、境界、肉体にまつわる様々な自我の思いは本当は無いものだ。
般若の智慧を得ると、心にとらわれがなくなり、恐怖の心も湧かなくなってくる…。
と書かれている。
さまざまな悩みを抱えた人が遍路となって八十八の札所を回る。しかし八十八の札所の実体はない。あなたがあると思い込んでいるだけだ。あなたが八十八の札を苦しんだあげくそろえて喜びを感じたとしても、その苦しみも喜びも実体はないに等しい。あなたの錯覚なのだ…。
帰納的に考えると、こんな結論になってしまう。
宗教の力を借りるまでもなく、自分を苦しめているのは他ならぬ自分自身だと思う。宇宙とか世界は自分の心の投影だ。偏った、癖のあるとらえ方をしているから、苦しみが生まれる。
現状の自分、あるいは自分が置かれている状況が気にいらず、背伸びをする。満たされない。欲求不満になる。イライラする。
あるがままというのが悟りの境地?
八十八箇所参りなどとストレスフルなことなどせずに、いまの生活を感情をなくしてすべて受け入れて黙々と継続する。そうすれば心の平安が得られる? 死も受け入れられる?
ただ、現世では成長がない、ということになるが。
十三番大日寺から十七番井戸寺まで五つの札所はかたまっている。地元の生活道路をたどっていく。
13番大日寺
道端に柿がなっている。
14番常楽寺
15番国分寺
写真の門前の右の石に曹洞宗と彫られている。
曹洞宗?
国分寺は真言宗じゃないの。
本来の国分寺跡が周辺の農地の中に見つかっているらしい。
お寺も諸行無常らしい。
国分寺の前には、他宗派の羽振りのいいお寺が構えていた。
16番観音寺
17番井戸寺
納経所の文字が見える。へんろ持参の納経帳に寺の名前をしたため朱印を押してくれる場所である。
納経所という名前の通り、歴史的には、自ら写経したものをここで納めて、その証明として朱印を押してくれた。
現代は、本堂の前で般若心経を唱えるだけで代用している。
13番から16番のお寺はどちらかというと質素。
17番は豪華。
同じ札所なのに、歴史の流れの中でかなりの格差が生じているように見える。
鮎喰川を渡る。
十七番から十八番までがちょっと距離がある。
地蔵院を抜ける道を選択。かなり標高差のある遍路道。地蔵院は真言宗で別格。かなりおおきなお寺である。札所の入れ替え戦があれば、入るんじゃないかな。
地蔵院。
ゴルフ場を横目に見ながら峠を越える。
越えたところに地元に人気の茶店(喫茶店)がある。ギャラリー花杏子
もう少し行くと八万温泉乙女の湯がある。突き当りが55号バイパス。
バイパスに沿って勝浦川を渡り、小松島市内に入る。私の職場の前を通る。
十八番札所恩山寺。
十九番札所立江寺。
へんろ転がしで有名な、二十番が鶴林寺。
登り口にあったコスモス畑。
いよいよ歩き登山開始。以前、自転車を押して車道を上がったことがある。
だんだん険しくなってくる。
眺めもよくなってきた。
延々と続く。
険しい道だ。
はるか眼下に那賀川が見える。
山門。
二十一番が太龍寺。
鶴林寺から那賀川へ下りて、那賀川からへんろ転がしの急峻な山道が続いている。1度歩いて上ったことがあるが、2、3時間かかったように思う。
今回は自転車なので、ぐるっと回りこんで加茂町から逆打ちになる山道を1時間くらい自転車をひきずって上がってくる。急すぎてこげない。
奥の小道が鶴林寺からの山道。
山門。
天井に描かれた龍の絵。
自転車だと30分くらいでふもとに降りることができた。急すぎてかなり危険であったが…。郵便配達のバイクが上っていき、下りてきた。
二十二番札所平等寺への歩きへんろ道に自転車で乗り入れるが、だんだん急な登りとなり、ついに石段となりあきらめる(笑)。
元の場所に戻り、県道に沿ってぐるっと回りこむ。かなりの標高差を下る。
観光バスが駐車場に。納経所では記帳された納経帳を添乗員がドライヤーで乾かしている。
ここから二十三番薬王寺までが二十キロ近くある。
平等寺から、55号国道を6、7キロ来た、由岐の展望台から。
田井の浜も見える。
田井の浜をロードバイクで走り抜ける。
ここで老いたおへんろさんと挨拶する。名古屋から来ていて、4回目だという。話したくてたまらない感じ。
2週間前に私が足摺を自転車で回ったことを話すが、食いついてこない。
自分のことを話したくてたまらないようだ。
トンネルを抜けて坂を下ると木岐の漁港。
休憩所の壁に貼ってあった案内板。
海岸線に沿ってヘヤピンカーブの小道が続く。めったに車は来ないが、一車線しかないので、自転車は危険である。
他府県ナンバーの観光客はこんな巡礼の道にまで押し掛けている。
フー。
マイカーで巡礼ですか。まあ、観光客でしょう。
一応、県道です。
へんろ道に沿って休憩所が点在する。
恵比須浜。
恵比須洞。波でくり抜かれている。
日和佐、大浜海岸が見えてくる。
23番薬王寺に到着。
こんな坂があった。
薬王寺のシンボルタワー。
門前で托鉢をする人がいる。立江寺では禁じられていた。
寺前の「道の駅」。足摺の「道の駅」と違ってかなり混雑している。
疲れていれば、自転車をたたんでJRで戻ることも想定して準備していたが、来た道を引き返す。恋人岬に寄ると…
ここで田井の浜で会ったおへんろさんと再会。
途中で知り合ったらしい40代くらいの男性と30代くらいの女性と話をしていた。話から80過ぎの老人らしい。
30分以上話をした。といっても老人の独壇場で、宇宙の話、自殺の話、空襲を通り抜けて生き残った話、空(くう)はプラスマイナス0の話など、正直言って、私にはいささか退屈。
でも2人はじっと老人の話を聞いているし、男性へんろは貴重なお話ありがとうございますと何度もお礼を言っている。
何でも受け入れるという受容の気持ちが強いようだ。
へんろに出るからには、何らかの行き詰ったことがあってのことなんだろうが、まずはすべてを投げ出して受け入れる、という決意を抱いているのか。
蚊が飛んできたときに10善戒の不殺生の話になり、老人が般若心経を唱えながらパチンと叩くという話になり、それを聞いて安心しました、と男性へんろが言い、皆、笑う。
注1)歩きへんろは宿坊(寺に付属した宿泊所)や民宿、旅館に泊まっている。精進料理が出るのかと思ったが、現実は魚料理が出たり、トンカツまで出たりするようだ。不殺生はかなりルーズになってきているよう。
注2)11番から23番まで一気に掲載したが、自転車といえども1日で回ることは不可能である。私は乱れ打ちといって、あっち行ったりこっち行ったりしている。それをブログの1日に順番にまとめただけである。その方がわかりやすいに違いない。

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