禅海和尚が鑿と金槌で30数年かけて、川岸の岩壁迫る通行の難所にトンネルを穿ち、人々が安全に往来できるようにした話は有名である。
晩年、通行料を取って優雅に暮らしたとかいう話を聞き、なんだ、と思っていた。しかし今回の訪問で、その通行料は2期工事のための資金だった、と記載されていた。優雅に暮らしたかどうかは定かではない。後世の俗人の下種の勘ぐりであるかもしれない。
生活道路にトンネルを穿ち、当時の住民に感謝されたのかと思っていたが、そうではなかった。
羅漢寺の参拝の通路だった。トンネルがなくても生活に支障はなかったと思われる。
禅海和尚は羅漢寺で修業したらしい。寺の住職ではない。
ところが羅漢寺に詣でてみるが、禅海コーナーまであり、禅海一色で売り出している。羅漢寺の歴代の住職を差し置いて、禅海は時の人である。
禅海にしてみれば軒下を借りて…、であるが、羅漢寺からすれば、禅海のおかげで全国区になった?(笑)
こんな場所である。
駐車場は紅葉まっ盛り。

写真には山道につながる石段も見える。
たくさんの観光客が押し寄せて、歩道はすれちがうのもたいへんである。歩道から入ったところに手掘りトンネルの跡。

明かりとりの穴もある。
これだけだと、行っただけになる。ただの観光地参りだけは避けたいので、禅海和尚がトンネルを掘る以前の参拝の過酷さを知りたくて、山道を歩いてみた。

険しい道が続く。

かなりの高度である。

眺めもいい。

対岸に、後世に作られた石橋がある。(望遠レンズにて)

北アのジャンダルムのような岩。

等間隔で岩に穴があいている。

険しいなあ。
四国88ヶ所参りのことを思えば、こんな道たいしたことないかなと登り始めるが、だんだん険しくなってきて、片方が断崖で反対側に重心をかけながら登るところも出てきて、北アルプス登山レベルの場所もあった(笑)。
羅漢寺は山の中腹にある。
本堂の前に滝壺の池がある。
現在は水脈が変わったのか、空滝で、見上げると、水流があった部分がえぐられている。
滝は浸食を繰り返して、何百年かけて上流へ向かって移動すると聞いたが、この滝の移動はえぐられたところまでで止まったままだ。
羅漢寺の歴史も禅海和尚で止まってしまったのかもしれない。
もとはといえばメープル耶馬渓サイクリングのためにやってきた。
耶馬渓サイクリングターミナルに車を置き、予定はまず上流のコア山国まで往復し、次いで下流に向かってサイクリングし、中津市内まで行くつもりだった。
落葉している。
廃線跡のためトンネルも多い。
駅舎跡も休憩所に。
巨木もある。
黄葉も素晴らしい。
粘着質の溶岩で山ができたよう。
「うそ」や「なかま」の駅がある?
コア山国ではかかしフェスティバルが開かれていた。すべてかかしである。
あいにくとても寒い日で、指先のない手袋だと手がかじかんでくる。
下りはほとんど漕がなくていいので余計寒かった。
青の洞門の近くの道の駅、耶馬トピアで中津市名物のから揚げ定食を食っていると雨が降ってきた。
サイクリング中止である。走行距離、36.6キロ。
中津駅前のホテルに戻る。
ベッドのマットは固めで、横になると腰の筋肉痛あり。

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