縄文時代はたくさんの集落がそれぞれ狩猟をやりながら生活していたよう。
その集落を征服して支配下におき、広範囲の統治を行うには、移動手段としての馬と武器としての鉄器が必要だったというのが、日本の古代史のようである。弥生時代に大陸から半島経由で馬と鉄器が持ち込まれ、征服のための戦いが繰り広げられた結果、古代国家が成立し、大和王朝の古墳時代へと移行する。
このように道具の発明は、社会形態まで変えてしまうしろもののようである。
テレビの普及による情報の流出が、一国の統治者に都合のいい情報のみを国民に知らしめる嘘を暴きだし、東西冷戦の構造を崩壊させたのが前世紀末のことだ。
インターネットの普及は世界の距離を縮め、やはり社会の構造を変えそうな勢いである。
馬、汽車、船、飛行機が縮めたのとは比べ物にならない。
縄文時代の、九州の部族たちの小さな世界のつばぜり合いは、グローバルという名の世界征服を狙う企業同士の争いに突き進んできたようだ。
ヒトというのは所詮、征服欲の塊のようである。
グローバル企業の、使い捨ての手足とされるのもたまったもんじゃないなあ(笑)。
あるいは狙い撃ちされて、一方的に征服される側に分類されるのも理不尽だ。
遍路が盛んになる理由が見えてきた。

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