至福の気分は長く続かないものだ。
幸福な日々であっても精神が慣れてしまうのだ。
例えば上水道。蛇口をひねれば飲料水が出てくる、これは水道施設のない国の人から見れば、とても至福な設備である。
ところが悲しいことに、そういう生活の中で暮らしていると、ありがたくも感じなくなってしまう。
ということで、人生は(長く生きればいいというものではなくて)いかに至福の瞬間を味わえたか、ということに尽きるのではないかと考えるようになった。老い先が長くはないということも関係しているのかもしれないが。
これまでの至福の瞬間を思い出すままに挙げてみることにする。
名古屋大学の工学部の合格発表の掲示板に自分の名前を発見したとき。
結局、3年で退学してしまったが。
岐阜大学医学部玄関の合格発表の張り紙に自分の番号見つけたとき。
大学3年時に放射線取扱主任者1種の試験を受け、官報の合格者名簿の中に自分の名前があったとき。
槍ヶ岳の頂上に立ったとき。
小児期のnon-convulsive status epilepticusの臨床像について、という論文が「臨床脳波」という雑誌に初めて掲載されたとき。臨床脳波1982.24(1)41-48
ハンブルグの国際てんかん学会で発表した時。
小児の良性部分てんかんに関する研究で博士号が取れた時。
飛騨高山カントリー倶楽部のゴルフコンペで高山市長杯をいただいたとき。
カナディアンロッキーウィスラーでスキーをやった時。
日本評論社刊、こころの科学とい雑誌に、大人になりきれない人々、というエッセイが1年間連載された時。
朝日新聞論壇に、筒井さん、断筆宣言残念です、という投稿が掲載されたとき。
英検準1級に合格したとき。
飛騨高山英語スピーチコンテストで優勝したとき。
その賞品でシンガポールに旅行したとき。
続お気に召すまま高山物語、という自著が村上春樹の本を抑えて高山でベストセラーとなった時。
グレートバリアリーフでダイビングしたとき。
富士山頂で日の出を仰いだ時。
日和佐ウミガメトライアスロンを完走したとき。
しまなみ海道を今治から尾道まで自転車でたどり着いた時。
高齢てんかん患者の記憶障害に関する5症例、がてんかん学会誌に載ったとき。
てんかん医が見た記憶の謎、というエッセイが全国の地方紙に連載されたとき。
総説、認知症と間違えられやすいてんかん性健忘、が臨床精神医学に載った時。

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