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投稿者:キハ181つばさ
風旅記様
今から思えば、埼玉県内における非電化私鉄路線ってここが最後だったかもしれませんね。
戦前の計画なので知る由もありませんが、都心を含め軍事目的で設置された路線は多くありました。私鉄では珍しいような気がします。
歴史を持った路線でも、収益が上がらなければ廃止。廃止になってしまうと地図上からその所在した痕跡が消えてしまうこともあり、その時代の資料をきちんと保存しておかないと、経緯を辿ることすらできなくなってしまいますね。
葬式鉄をする気はないのですが、こうした記録を取っておくことは良いと思います。自分が生きているうちは誰かが活用してくれると信じて。
実は、営業最終日にも訪問しているのですが、プリント出力しておらず、コマ数も結構あることからどうしようかと考えています。いずれご紹介する時がくるかもしれません。
返信が遅くなってしまい、誠に申し訳ございませんでした。
投稿者:風旅記
こんばんは。
今では随分と整った体裁の東武ですが、昭和の時代にはもっと泥臭くも魅力的な風景がたくさんあったのだろうと思います。
こちらの熊谷線も、非電化の短い路線を小さな気動車が行き来して、長閑な光景が広がっていたのではないでしょうか。
利根川の対岸は小泉線の通る辺りなのですね。土地勘のない場所ゆえに地図を見てみましたが、この路線の生い立ちを知り成程と合点がいきました。
車両だけでも見に、妻沼を訪ねてみたくなりました。
風旅記: https://kazetabiki.blog.fc2.com

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投稿者:キハ181つばさ
金太郎様
受け売りですが、軍事目的の路線であったため、わざと人が住んでいない場所を買収して敷設したらしいので、その辺りの経緯が終戦後に仇となってしまったようです。
それでも、高校通学の需要は結構あったようで、2両編成の気動車に押し合いへし合いで凄い状況の写真を見たことがあります。
キハ2000の車内は、キハ10系タイプの背もたれの低いものが使用されていたと記憶しています。車両は短くデッキもないため、空間が広く感じられたように記憶しています。
東武本線に繋がらない孤立路線であったため、赤字は必然だったと思いますが、東武が秩父線の熊谷までを運営していたら、小泉線くらいまでは維持できたかもしれませんね。
投稿者:金太郎
つばさ様、お早うございます。
出勤前にコメしていきます。
東武らしからぬ非電化路線だった熊谷線、わたくしはついぞ訪問出来ませんでした。
妻沼から先、利根川を越えて小泉線とつなぐ計画だった・・・その話は聞いたことがあります。
実現していたらどうだったか?などと想像してしまいます。
キハ2000、以前鉄コレで発売されたものを持っております。
鹿島鉄道のキハ430型と類似ですが、内装がごく簡単ですが東武の物はクロスシートになっておりました。

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