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投稿者:キハ181つばさ
J.R様
コメントありがとうございます。
鉄道ファンでない方のコメントは珍しいのですが、記憶の内容が鮮明過ぎて驚きました。
私よりご年齢が少し上と察しますが、鉄道ファンでなくても旧型車両にご興味があったようでうれしく思います。同年代として、同じような気持ちで接していました。もう少しDEEPだったと思いますが・・・。
上野口では東北本線が昭和53年10月、高崎線や常磐線が昭和57年11月に無くなってしまいましたが、地方では昭和60年頃まで残っていましたので、社会人になってからは地方にも会いに行きました。
今となっては旅情よりも時間を大切にする意味で早い電車を選んでしまいますが、当時は純粋に雰囲気を感じながら乗っていました。今ではそんなことすら簡単に味わえなくなってしまい、寂しくなりましたね。
投稿者:J.R
 申し訳ありません。特に鉄道好きではないのですが、上野発福島行が懐かしくてコメントさせていただきます。

 わたしは、昭和40年代の小学生の頃、よく母親と大宮まで出かけた帰り、この福島行に乗りました。他の列車は既に自動ドアなのに、これだけがドアが開いていて珍しかったから大好きでした。母親に怒られるのでできませんでしたが、走り始めてからも乗れるので、映画に出てくる列車みたいだと楽しみでした。わざと開いているドアのそばに立って、外の風景を眺めていました。映画「大脱走」のように、かばんを先に投げてから飛び降りたらどうなるかなあなどと考えてました。

 昭和50年代、都内へ通っていた高校生のときも、部活動がないときも、ちょうどこの列車を赤羽で捕まえて乗ってました。まだ東北本線も30分に1本の頃です。発車する前に、全体がガタンと揺れてからゆっくりと走り出す様子が懐かしいです。

 何か、あの福島行について記事はないかなあ、と探していました。貴重な写真ありがとうございます。
投稿者:キハ181つばさ
金町のH」様
こちらこそ画像を提供していただきありがとうございました。
経験やそれに基づく記憶というのはそれなりにあるのですが、写真に撮っていないものは記憶の中にも埋もれてしまっていて、何かきっかけがないと引き出しが開くことはありません。そこから蘇る記憶は多少実際の出来事とのズレが生じているケースも有り、ネット社会の創成により再検証できるようになった結果、実際に近い出来事を紐解くことができるようなったのは、自分としても嬉しいです。
早朝に出発したする121列車も、黒磯辺りまでは道路の音や駅の活気などで音に切れ間がないものですが、交流区間に入るとブレーキ音が切れて停車した途端に静寂が訪れ、動力のない無音の世界になりますね。高久・豊原・久田野などは鳥のさえずりだけが音として耳に入り、白坂では静寂の中にいきなり轟音と共に特急列車が通過する音が物凄いボリュームとなって響きました。それが過ぎ去ると静寂が戻る。窓全開、音のしない列車でしか味わえないそんな光景もなくなってしまいました。
投稿者:金町のH
一枚の古い写真がきっかけで、素晴らしい記事になりました。ありがとうございます。
ドン行客レの旅の記憶もはるかな彼方になりそうです。特急退避で山あいの小さな駅に停車すると、本当に車内が静かで、乗客同士の小さな声でさえ響きました。嗚呼、あの時に戻りたい。

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