14系座席車:特急「つばさ51号」
キハ82系特急「やまびこ」から独立して誕生した「つばさ」は、キハ181系化、そして485系電車化と様々に使用車両が変化した特急ですが、東北新幹線の開業まで長きにわたり、一貫して上野〜秋田間を守り続けてきた、由緒ある東北特急のひとつです。
他の東北特急が改正の度に次々と増発されていったのに対し、「つばさ」は依然2往復体制を維持していました。これは、上野〜山形間を結ぶ「やまばと」「ざおう」や上野〜秋田間の急行「おが」、そして、夜行の「あけぼの」「津軽」といった数々の補完列車があったからかもしれません。
しかし、お盆や年末年始の輸送では、当時臨時の夜行列車も増発の限界に達しており、、昼間に臨時特急を設定せざる得なかったようで、多客時に必ずと言って良いほど運転されていたのが、14系客車を使用した特急「つばさ51号」でした。
昭和40年代後半から昭和50年代に掛けては、北海道や紀勢、山陰、四国といった非電化地域を除き、昼間は電車特急が隆盛を極めていた時代です。そんなことで、列車速度が落ちる夜間(客車夜行や貨物の多い時間)にしか客車特急を増発することが難しかったといえ、全国的にも昼間の客車特急は珍しかったといえます。その中でも恒常的に運転されていたのが、西の「しおじ51号」と東の「つばさ51号」だったのです。
※後に「はつかり51号」も設定されています。

昭和52年頃 東北本線 宇都宮駅にて 「つばさ51号」
終始14系を使用していた「つばさ51号」でしたが、極初期の頃、14系客車の製造が間に合わず12系客車を使用し、特急料金を100円引きで運転したという逸話が残っています。
電車特急でも非リクライニングシートが多数あった中で、スピードが遅いといいつつも、簡易リクライニングは好評だったと聞いております。(後に構造に関して非難を浴びたようですが。)
写真は、宇都宮駅停車中に撮影したものですが、本来この「つばさ51号」は宇都宮駅通過の筈ですから、写真も撮るつもりはありませんでした。
何故停まってしまったのでしょうか、今もって原因は分かりません。でも、そのお陰でこの写真が残っているわけです。他には客車の写真が見当たらないので、偶然でも良かったと思います。

昭和53年8月 東北本線 小山駅にて EF651005牽引 下り「つばさ51号」
小山駅を通過中の下り「つばさ51号」。同列車は、上野を出ると機関車の交換駅となる黒磯まで停車しません。停車駅を少なくして、所要時間を稼いでいたのでしょう。
「つばさ」が気動車時代から運転されている老舗臨時特急で、昼行14系客車特急としても東日本では唯一の存在でした。

昭和56年8月 赤羽駅にて EF651033牽引 「つばさ51号」
赤羽駅を快足で通過する「つばさ51号」。2往復しかない定期「つばさ」でしたから、シーズンとなれば51号まで満席になるのは当たり前でした。新幹線開業前でしたので、急行も含めて満員盛況が当たり前の光景でした。
この頃になると、定期の夜行急行や昼間の臨時急行にも14系が使用されるようになったため、この姿だと「つばさ」であることは主張が難しいと思われがちですが、急行列車はEF58やEF62が牽引に当たっていたので、EF65PFが牽いていることで「つばさ」であることが主張されているのです。

昭和56年1月5日 豊原〜白坂間にて ED7521牽引 「つばさ51号」
「つばさ51号」は、大宮駅を出ると機関車交換の必要な黒磯駅に停車しました。ここからは東北交流区間のエースであるED75の出番となります。
交流区間で唯一撮っていた写真です。
昔はヘッドマークも付いていませんでしたし、あまり撮る気のしなかった列車でもあったのですが、今の時代になってこのような写真をみると、標準色のPFが14系客車を牽くシーンというのはメチャクチャ格好良く見えます。シーズンには必ず走っていたので、もっと撮っておけば良かったなと、いつもながら思うのであります。
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