キハ82系・キハ183系:特急「おおとり」
キハ82系「おおとり」は、昭和39年10月1日、「おおぞら」に続く北海道2番目の特急列車として誕生、函館〜網走を石北本線経由で結んでいました。※確か登場当初は釧路行きと併結され、一部が池北本線(後の池北線)経由で網走まで達していたと記憶しています、文献が見つかりません。
昭和61年10月末にキハ183系に置き換わるまで、最後の食堂車連結気動車特急でもありました。
1日1往復のみの体制は営業当初から廃止になるまで堅持され、「おおぞら」や「北斗」のように増発、編成増強されることなく、オホーツクと合わせて食堂車を含む7両編成と、比較的地味に、しかし、長距離ランナーとして地道に活躍していました。

昭和56年3月11日 函館本線 白石〜厚別間にて

昭和56年3月15日 函館本線 大麻〜厚別間にて

昭和56年3月18日 石北本線 遠軽駅付近にて

昭和58年9月7日 函館本線 大沼駅にて
キハ82系「おおとり」は、昭和61年11月1日からわずか1年4ヶ月の間だけキハ183系で運転されていました。
食堂車はキハ82系時代で消滅してしまいましたが、運転区間は札幌〜網走のまま、道内における最長ランナーとしての地位を誇っていました。

昭和62年12月13日 函館本線 大沼駅構内にて

昭和63年2月24日 函館本線 石倉〜野田生間にて
新性能化を果たした特急「おおとり」でしたが、JR化によって活発化した千歳空港(札幌)を中心とするネットワーク化の煽りを受け、札幌での系統分割により昭和63年3月12日をもって愛称が廃止となってしまいました。
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