12系客車:臨時急行「佐渡」
急行「佐渡」は、準急列車からの格上げで誕生した急行列車。上野〜新潟間の昼行を基本とし、相互間の夜行列車も設定されていました。
昭和50年代、特急「とき」が既に13往復も設定されており、年末年始やお盆輸送は限界がありました。この関係でしょう、多客期の上越線も例外ではなく、臨時の急行列車が多数設定されていました。臨時急行「佐渡」にも客車列車の設定がありました。

昭和54年3月 川口駅付近にて EF58133牽引 「佐渡54号」
EF58133号機の牽く12系客車を使用した臨時急行で、影の長い時間帯から推測して急行「佐渡54号」かと思われます。
川口駅東口の開発も行われていないので、空が広く見えますね。当時、駅前の高い建物と言ったら○井くらいでしたね。画面右端に見えるの第一勧銀のマークも懐かしいですね。半分に掛けていると、ハートチョコを思い出します。

昭和56年9月 南浦和〜蕨間にて EF58136号機 牽引 急行「佐渡54号」

昭和57年1月 東北本線 南浦和〜蕨間にて EF5859牽引 急行「佐渡54号」
いずれの写真も種別サボが入っていますので、撮影の時間帯と牽引機を照らし合わせても、おそらく臨時急行「佐渡54号」と思われます。長岡区のEF58も終焉の頃です。

昭和57年1月5日 八木原〜群馬総社間にて EF641032牽引 急行「佐渡54号」
列車名の記録は無いのですが、当時の時刻表を見たところ、1月5日、光線と同じ状態である午後に運転された客車列車は「佐渡54号」しかありませんでしたので、間違いないと思います。
ところでこの「佐渡54号」、運転区間が「長岡〜上野」となっており、佐渡島にまったく連絡もしていません。愛称を合理化で統合してしまったものと見られますが、その昔は「信濃川」という急行名を使っていたスジですね。「信濃川」は、客車急行のときもありましたが、165系で運用されたときもあったと記憶しています。
編成が切れてしまっているので判りづらいですが、12系が9連で組成されています。
上越線では、機関車の牽引定数の関係で10両以上ですと補機が必要になります。おそらく、この関係で9両編成に押さえていたのでしょうね。


4