郷照寺
ちょっとした高台にあるお寺。眺めが良い。山を下って天皇寺へ向かう。
生きること死ぬこと
共同通信社の配信で、てんかん医が見た記憶の謎というエッセイを去年から今年にかけて全国の地方紙に連載したが、その前に連載されていたのが、生きることと死ぬことと言うタイトルで、終末期医療に携わる医師の連載であった。
多くの患者の姿を見とってきた医師で、患者やその家族に寄り添う医療を推し進めている医師であった。
ただ1点気になったのは、彼の、死者に対する物差しである。たくさんの家族に看取られながら亡くなっていくと言うのが彼の幸福論であり、誰からも看取られることなく孤独死の道を歩んだ人を憐れむような、彼の価値観を押し付けられてるように感じた。
確かに客観的に見れば多くの人に看取られてなくなると言う事は幸せな人生だったのだろうなと思う。ただ、1人で孤独死をせざるをえなくなった人が、人生の総決算として不幸だったかどうかはその人にしかわからないことであろう。
何十年か前は、結婚式を盛大に挙げることが流行した時期もあった。多くの人々に祝福された結婚がはたして幸せなものであったかどうかは、わからない。最近は2家族だけでやる結婚式も多いようであるが。
Facebook等でも多くのマイフレンド持つ人の生活が充実しているのかどうか。リア充と言う言葉も最近は出てくるようになった。
こんなブログを書いているのは実は私自身が孤独死に突き進んでいるような感じがするからであるが、笑。詳しくは書かないが。生まれてきた時は1人だったのだし、1人で死んでいくというのも自然だ。犬は死期を察すると、飼い主の元を去っていくようだ。死姿を見られたくないようである。それが本来の動物の姿かな。
孤独死になったとしても充実していた、あるいは充実していたと信じてあの世に行こうと思う。

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