近代科学の理論的枠組みを最初に確立した思想家としてデカルトはしばしば「近代哲学の父」と呼ばれる。近代化の思想的背景にはデカルトの「近代合理主義」がある。「方法序説」が有名であるが、現在の科学者が用いている手法の原点である。天動説が叫ばれていた時代に、主観を排除する、分析的、客観的、論理的にものを見たり考えたりして普遍性を追求するといった、現代の科学者が当然としていることを言い出した人である。
社会の中で何の疑念も持たず黙々と続けられてきた因習や慣習が弾き飛ばされてしまう。冠婚葬祭など非合理的なものの集合体である。そういえば家を建てるときの地鎮祭や餅投げなどあまり見かけなくなった。
大学まで進学した人は、デカルトの近代合理主義の思想に慣れ親しんでいる。すべての学問がこの思想の上に成り立っているからだ。私自身この合理主義に染まりきっているが、私の身近にいる何人かの大卒の人々はそうではない。主観的であったり差別的であったりする。大学生の時にあまり熱心に勉強しなかったせいなのか?
いや、そうではない。
科学と生活は必ずしも一致しないのだろう。生活全体を近代合理主義で覆い尽くしてしまうと窮屈で息が詰まるのだ。生物としてストレスを感じる。
それでも社会は競争原理の中で、合理主義を推し進め、非正規雇用を生み出したり、終身雇用をやめたり、残業をさせてプライベートな時間を奪ったり、単身赴任をやらせて家族団らんの時間を奪ったりと結構過酷な労働条件を強いてくる。プレモダンの呪縛から解き放たれたのに新たな呪縛に取り付かれている。IT社会はこの合理主義を加速しているように見える。
明日は私の心のバランスを取り戻すために、四国遍路に出かけることにする。そこにはプレモダンの世界がある。

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