たまに出くわす。中高年の男遍路に多い。
こちらとしては、あれっと思う。
もし耳が遠いのなら、以下の文はごめんなさい。
お経はきちんと唱えているのでそれなりに良識のある人なのだろう。
よっぽど大きな問題を抱えて周りが見えないのか、あるいは孤独を愛するのか、あるいは全ての人との交流を遮断しているのか、それとも気が向いたときは挨拶するのか、ずっとついて歩いているわけでないのでわからないが。
挨拶を返さない遍路、私には何となく不思議な人だ。
妻はスパイだった(エピローグ)
エピローグ
久しぶりに妻と外食する。
新聞記事が出たことで、黒山の心は軽くなったような気がした。あのままだと社会の期待に答えられない自分に失望することになりかねなかった。突き抜けた行動を起こすことは、周りの人々に迷惑をかけることであり、展開次第では黒山自身が社会から葬り去られる危険を秘めていた。それだけの覚悟を固めることができずにいた。他力本願ではあったが、これで良かったのだと思うようにしている。
「もう一度放射線取扱主任者試験を受けてみようという気はないの?」と妻に聞く。黒山が忘れていた知識もまだ覚えている。資格へのこだわりは健在で、陰で勉強を続けているのではないのかなと思う。
「そうね、この子が生まれたらもう一度チャレンジしてみようかしら」と妻は言う。
「10年前、どうしてこの資格を取りたいと思ったの?」と尋ねる。「いままで何回聞いても答えてくれなかったけれど」
妻には黒山とは異なる動機を持っているのではないのだろうかという疑念が湧く。
「物理が好きだったからかな」と微笑みながら答える妻に、
「それだけ?」と黒山は首を傾げる。
「ふふ、国際機関で働いてみたいというのもあったかな。資格を活かして働きたいというか」
「ふーん、国内企業じゃ駄目なの?」
「あなたが1年前に企業名非公開の機関の面接受けたでしょう、契約社会のああいう自由な雰囲気に憧れたのかな」
「なるほど。それでは資格が取れたらあの機関に就職する?」
「もちろん」と妻は笑う。「あなたもこれから転職したら?」
「なるほど、それもいいかも」
と冗談で返しながら、ふっと素面に戻り、正直な毎日で楽しいかもしれないなと思う。
いまの職場は宮仕えの要素が大きいが、その機関だと黒山の意志でもっと社会貢献を前面に出せそうだ。
妻はもともと雇用主非公開の求人の方を勧めていた。黒山が求職活動を開始した時からその機関と情報のやり取りをしていたということもありえる。そして黒山のパソコンから情報をコピーしたかもしれない。妻はスパイかもしれない、いや多分スパイだと思う。しかしそれでも構わない、命を狙われるわけでもなし、妻の言う通りにしてみようかという気になっていた。

0