倭人は縄文時代からもともとよろずの神を信仰していたと思われる。自然崇拝で、巨石の信仰であったり、巨木の信仰であったり、滝の信仰であったり、自然が対象であったと思われる。
魏志倭人伝によると、骨を焼いてそのひびで吉兆を占っていたとされる。
死者が出ると肉を断ち、棺に入れて土を盛ったという。その後水の中に入り禊をやったと言う。
吉野ヶ里遺跡ではカメ葬といって、カメの中に遺体を入れて埋葬されている。
あちこちで出土している銅鉾は宗教的儀式で使われたらしい。
藤原一族の隆盛により氏神信仰が定着するが、天照神やイザナミなどの神話がある点は、既に倭国に神信仰があったのか。
日本の天皇はロイヤルファミリーとしてイギリスの王室との交流が盛んであるが、
日本の天皇は王室ではなくて、戦時中は神と言う位置づけではなかったのか。
ヨーロッパにもギリシャ神話があるが、イギリス王室とは関係なさそうである。
平安時代に遣唐使として最澄や空海が大陸に渡り、日本に仏教が伝来することとなる。そして仏教で平民の心を鎮めようとする政治が始まるわけである。
儒教思想の広まった明の時代は日本は戦国時代であった。
乱世の時代にあって儒教思想は当時の社会と相容れないものであった。下克上の時代で、のし上がるためには密約を交わし裏切ったり裏切られたりする時代であった。
儒教思想が広まるのは平和な江戸時代になってからである。年功序列、子は親を敬い、君子に対する忠誠心など。水戸黄門が近隣の諸国を行脚できたのもこの儒教思想が広まっていたからであろう。赤穂浪士の討ち入りも儒教思想に基づいていると思われる。
明治に入ると、儒教思想はさらに強まり、小学校の教科書などで子が親を敬う精神などが強調されていくことになり、戦争へと突っ走ることになる。神仏分離がなされ、天皇が神と言う位置づけがさらに強化されていったのかもしれない。
四国八十八か所参りをしても神仏分離のなされている札所は結構多いが、どちらかと言うとお寺の方が盛況のようである。。
ところで日本で生まれる新興宗教は仏教から離れることができないのかもしれない。
当時の新興宗教である浄土真宗、曹洞宗、などやはりお経を唱える。驚いたことにオーム真理教もチベット仏教の流れを汲んでいるということである。

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